インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その3
どういうビジネスプランであったか、ここでは詳細を省きます。とりあえず、プネ市内をビジネス目的で訪問しました。
そして、前日の料理教室の後、やってきたのが、ヨガ教室です。
なんと書いてあるのか、全くわかりません。電話番号とか料金とか営業時間とか、なのでしょうか?あまりに媚なさすぎてチンプンカンプンです。
本場のヨガは体操でした。もしかしたら日本のスポーツクラブでよくみるエアロビのようなものかもしれません。許可をとって撮影させていただきました。大変活気のあるヨガ教室でした。
さて、翌日、プネー市内で次は、なにしろはじめてのプネーですから、何があるのか、しっかりチェックしておこうと主要な観光スポットをまわります。
Chattushirigi Temple チャッツシュリジ寺院とよでも発音するのでしょうか、にやってきました。
インドは人口爆発中ですから、すごい人だかりなのです。どこにいっても人、人、人。
そして、外国人観光客、本当にいないのです。そして…当時の写真をみていて気づくのですが物乞いもいません。これがムンバイやデリーにいくとたくさんいるのですが、プネーでは、経済的発展がすごいですからね。やる気さえあれば、ということなのかもしれません。
上の写真のテントといか、露天ではこの寺院でお祀りしている神様にお供えする花を売っています。インドにもいろんな神様がいます。で、プネーはどちらかといえば観光地ではないので、英語の案内は私が訪問した際はほとんど見ませんでした。外国人観光客自体、ほとんどいません。なので仕方ないといえばそれっきりなのですが…ヒンドゥー教の神様についてしっておくのといいのかもしれません。
それにしてもインドを旅行してきて、よかったのが、ムンバイ以外の街では、外国人観光客は目立つはずなのに、放っておいてくれること。「どこから来た?」とか頼みもしないのに英語でガイドしてくれたり、はてにはガイド料をくれと、物乞いみたいなことされたり、そういうのがあるからヨーロッパ以外の地域への旅行はなかなか煩わしいと感じるとが多いのですが、プネーではそういう思いは全くしませんでした。
上のお土産屋さんも、参拝客のお供え用です。買って、それをお参りしてい本殿に捧げます。
多分、ものすごく安いのだろうけど、まったく英語、通じないだろうし、万が一、美味しくなかったとしたら荷物が増えちゃうだけなので、見るだけ…。ただ、なんとく甘い物ではなかろうか?そんな気がします。
ちょうど本殿でのお参りの後です。
お参りのための長蛇の列です。でも、この日はとくにこの寺院のお祭りの日、というわけでもなかったと思います。私もわけも分からずにこの列にならんだのでした。ただ、遊園地のアトラクションとかとことなり、列はするする進みます。
チャッツシュリジ寺院を後に、プネ観光の一応のランドマーク的存在、シャニワー・ワーダー(shaniwar Wada)に来ました。ワダではなく、ワーダーと伸ばすそうです。しかも、ウィキで調べてていまさら気づいたのですが、プネではなく、プネーなんだそうです。現地ではプネ、と発音していたような気がしましたが。
上の写真が城門です。ムンバイから入ってプネにくると、旧市街というのはまあ、そこそこ見たりするのですが、いわゆる土着の、例えばヨーロッパを旅行すると目にするような封建制の名残としての城塞的なものをほとんどみることがありません。まるで、最初から共和国だったっけ?と。ですが、実際は、インドは英国に併合されるまではその歴史をみると戦乱の歴史でもありました。世界史を勉強した人ならムガール帝国というのがインドを支配していたことを、なんとなく思い出しませんか?ムガール帝国は英国の植民地として、後には英国によって滅亡させられインド帝国としてとって替わられました。
上の写真の城門のすぐ上の櫓というのでしょうか。見晴台です。なんだか西洋のお城みたいですよね。そこにオリエンタルの要素のような。アジアと言うより西洋ですよね。とっても好感が持てます。
ここ、デッカン高原は日本で言えば軽井沢のような高地にあります。こんな高いところでまで、しかも、ものすごい暑さと湿気の中、当時の英国の軍人は鉄砲をかついで行軍してきたのかとおもうと…不思議ですね。どんな意味があって、当時はおそらくなにもなかったであろう地方都市を後略したのでしょう。その見返りはあったのかな?あるいは当時はもっと現在とは価値基準がことなりますから、価値があったのでしょうか?いろいろ疑問におもってしまいます。ただ、この地の人にしたら、自分の国と英国に外交関係があって、それがもつれて宣戦布告というのであればともかく(それでも戦争は反対ですが。)これは、単なる侵略ですよね。しかも居座り強盗なわけです。日本は幸い、そういう経験をしたことはありませんが…
立派な城門ですが、戦争となったら大砲の前には為す術もないのでしょうね。
内部は廃墟、じゃなかった公園です。美しく整備されています。
多分、正面に宮殿があったのでしょうね。再建してくれてたら当時のイメージも湧くのですが。これはこれで美しいとは思いますが、城門が立派なだけにちょっとガッカリ感はしますよね。
先程の城門を反対側からみるとこんな感じです。
城壁の外は繁華街なのです。
ムンバイは車社会ですが…この狭いプネ市内はリキシャやバイクが大活躍です。
旧市街の中心にこのシャワニール・ワーダーは残っています。その周囲は交通量も多く大変活気にあふれています。上の写真は駐車場に面した城壁です。なんという木かはしりませんが、巨大です。城壁の規模感も伝わるとは思いますが、ただ、これだけの巨大都市です。このシャワニール・ワーダーにしても、領主の館か行政府くらいの位置づけに過ぎなっかったのかもしれませんね。
ちょっぷりダサダサな独特の様式の建築がインド的ですよね。見どころというほどのみどころは無いのですが、主要な場所は旧市内の中心地。つまりシャワニール・ワーダーの周辺にあります。そして、ページを改めて紹介しますが、高台の寺院は徒歩ではいけません。タクシー、またはリキシャでの移動となります。
それにしてもお気づきかもしれませんんが、観光客向けのお土産店というのは殆どありません。多分、皆無です。これは旧市街だけでなく新市街にいっても同様です。このあたりがインドの不思議なところでもあります。シャワニール・ワーダー内にもジュースの自動販売機一つないのです。(すぐそとではスイカをうる屋台はありましたが)もちろん、コンビ二もありません。なので、割と道路がきれいなんですよね。
そして、英語はほとんど通じません。誰だ!インドは英語が母国語だなんてほざいていたのは(笑)?ちなみにプネーにはプネー大学があり、そこには日本語学科があるそうです。
こういう市街をあるくとき気をつけたいのは日本と違って車はとまってくれません。信号のないところを渡るときは注意が必要です。