フランス旅行記+フランスの不動産情報☆BYパリ大好きオヤジ

フランス旅行の備忘録+海外移住希望者向け(?)不動産情報のブログです。

ピュイベール城→レンヌ・ル・シャトー

モンセギュール城を後にして、ピュイヴェール城に来ました。

このピュイヴェール城カタリ派の他の城同様、廃城です。が、この後、何枚も写真を見ていただきますが、とっても美しいのです。我々がイメージするいわゆる中世のお城の遺構をのこしているからだと思います。

 

そして、このお城もカタリ派の城の一つです。といっても城主がカタリ派だったということではなく、アルビジョワ十字軍の侵攻を受けた城という意味です。カタリ派の城巡りと言った場合、カタリ派が拠点としていた城(モンセギュール城やケリビュス城、ペイルペルテュース城などが有名)もあるのですが、そうではなくピュイベール城のようにトランカヴェル家の配下の封建領主として、ま、言ってしまえば、主君の失策の巻き添えをくった城も結構あります。

 

城主はコンゴスト家。吟遊詩人の保護でしられた貴族であったそうです。このお城、通商路の要衝に位置し、かっては多くの人の往来でさかえただろうなあと往時の繁栄が想像できるかのようです。

 

攻城戦はあっという間にかたがつき、わずか数時間で落城したそうです。コンゴスト家は名門でもあるそうですが、他には城をもっていなかったそうで、この城を失い、そのまま歴史の舞台からも消えてしまうことになりました。冷静に考えると、この城で籠城戦に持ちこたえる(投石機に耐える)のが難しいことはすぐわかります。

 

アルビジョワ十字軍の侵攻をうけたラングドックの地にはコンゴスト家のような封建貴族がたくさんいました。殆どが家名断絶となったのですが、一部には上手に立ち回った家柄もありました。降伏でも抗戦でもなく、主をトゥールーズ伯やトランカヴェル子爵から、フランス王家へ直接、臣従を誓うケースなどです。当然、十字軍はフランス王直属の家臣に手を出すわけにはいきません。

 

900年前も今も、生き残りのルールは一緒ですね。何がおこるか予測する技術。殻に閉じこもって嵐が過ぎ去るのとじっと待つというやり方は逆にリスクが高いということかなと。

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上、駐車場からお城を臨みます。下、駐車場からいままで通ってきた城下の方向を臨みます。

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この写真だけみると、ちっちえーなーと思いませんか?&やってのか~?と。

それから衝撃なのは、こんな廃城に入場料取るのか?と驚きました。

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写真ではなかなか伝わらないのですが、実はとっても大きいのです。

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兵(つわもの)どもが夢のあと、といった感じしませんか?

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投石機が打ち捨てられじゃなく、展示されてます。

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投石機の攻撃にはめっぽう弱いだろうなあというのがわかりますね。
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眼下に支配においていたであろう城下を見下ろすことができます。

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崩れかけた塔の上から城の全体像を臨みます。山の稜線の上に作られたことがよくわかりますね。

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訪れる人もほとんどなく、ひっそりとしています。
ですが、いろいろなお城を訪ねたことのあるわたしでも ここは何がなんでも訪れるべき名城の一つだと思います。

 

このあと、レンヌ・ル・シャトーへと向かいます。

 

ここ、レンヌ・ル・シャトー、シャトーはフランス語で「城」という意味です。ちょっと不思議な村名です。ここに赴任してきたソニエール神父が赴任している際に、悪魔の彫像から巻物がでてきて…そこから急に神父の金回りがよくなったことからその巻物はとんでもない価値をもったものか、財宝のありかをしめした宝の地図ではないか、と噂になったことで一躍有名となりました。

 

これ以外にはとくに特徴のない村です。といってもこの小さな村の歴史はとてつもなく古いのです。なんと、西ゴート王国の夏の都だったというのですね。そしてこんな小さな村に、小さな城があります。

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ソニエールの蔵書があつめられていたそうです。

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この悪魔の彫像の中からでてきたそうです。もちろんこの彫像はレプリカです。

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そして、この何の変哲もない田舎家みたいなのがレンヌ・ル・シャトーの城です。その来歴はよくわかっていません。入場もできません。

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個人の邸宅みたいな城ですが、反対側にまわると地形の利を活かした断崖に面しています。

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レンヌ・ル・シャトーの周辺にはシャトー・ドゥ・ブランシュフォールなど不思議な城があります。また、この城のそばにはルーブル美術館にある、プッサンアルカディアの牧羊を描いたとされる場所があり、プッサンは宝の場所をしっていたのではないか、などいろいろな伝説がこの地に彩りを添えています。

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https://www.boutiquesdemusees.fr/ より拝借しました。

この背後の山がこの地、ラングドッグだという説があるのです。

財宝はカタリ派の財宝であったり、ダヴィンチ・コードであれば、イエス・キリストの血脈を記した文書であったりと諸説あるそうです。まあ、ダヴィンチ・コードの話はいくらなんでも荒唐無稽だとは思いますが。