カルカッソンヌ一日観光
さて、すったもんだあって夜遅い時間にカルカッソンヌのホテルにもどってきました。
翌日はカルカッソンヌの市内観光です。
ホテルと城の間には川が流れています。昔は天然の堀として利用されたと思います。
この橋を超えていきます。
前後しますが、ホテル出てすぐの眺めです。この城とホテルの間には川が流れています。
川を渡って城下を進みます。緩やかな上り坂を20分以上あるいてやっと城の入り口、ナルボンヌ門に着きます。むかし、ナルボンヌ門前のホテルにとまってことがあるのですが、ついつい便利なんですよね。
カルカッソンヌの魅力はなんといってもこの遠くからの全体の風景か、上の写真のような特徴的な砦のカットだと思っています。なので…20分以上のあるきは仕方ないです。
丘の頂上に城があります。
となりに人がいると二重の城壁の巨大さがよく伝わりませんか?
この左がわが入り口でナルボンヌ門といいます。
上の写真の跳ね橋をこえたあとにあるこれが本当の場内への入り口となります。
二重の城壁に囲まれているのですが、最初の城壁と2つ目の城壁の間の通路です。こんな難攻不落の城、攻めろと言われてもぜったいに嫌ですよね。
城壁をぬけたところです。
いきなり小さなお城?っおもっちゃいますよね。カルカッソンヌの写真といえばこの光景もおなじみだと思います。こちらはシャトー・コンタルといって領主の住居です。この城壁内がトランカヴェル家の人たちが寝泊まりしていた住居というか、ミニ宮廷があった場所になります。
ここで、また、すこし歴史について。
昔、公侯伯子男って貴族の序列を勉強しました。ではトゥールーズ伯ってなんで公でも侯でもなくて伯なんでしょう?それは辺境伯に由来するため、つまり、公侯伯子男の定着する前の、独立王国の名残から、なのでした。辺境伯と通常の伯爵の違いは辺境伯はかなりの程度自治をみとめられていたそうです
ではカルカソンヌを支配したトランカヴェル家は?爵位は子爵であったそうです。トランカヴェル家はトゥールーズ伯の封臣でした。が、ナルボンヌやベジエなど経済的な要衝を抑えた大貴族でした。勢力は拮抗し、縁戚関係にもありました。なので、主を主とも思っていなかったようです。これはトランカヴェル家だけではなくこの地の貴族は名目だけ臣下の形をとっていたそうです。そのため、十字軍の襲来に対して、共同で対処することができず次々と各個撃破され滅ぼされていったのでした。
トランカヴェル家はトゥールーズ伯とアラゴン王に臣従の誓いを立てていました。つまり二股ですね。中世、こういった事象は珍しいことではなかったそうです。貴族はいろいろな場所に領地をもち、領地を維持するためにはその地域の最大派閥の領袖に足らざる得ませんでした。もちろん、国という概念が生まれる前の頃の話です。
日本では武士は二君に仕えずなんて話を聞きますが、これは後世のフィクションであったそうです。フランスにおいても中世は同様にいろいろな主君につかえていたようです。
アルビジョワ十字軍がトランカヴェル家の領地を次々と荒らし、最後に拠点であるカルカッソンヌを包囲した時、アラゴン王は十字軍とトランカヴェル家の間にたって仲裁にはいりました。休戦となってトランカヴェル家の当主が十字軍の陣地に出向いたところ捕縛され、そのままカルカッソンヌは十字軍の手に落ちます。その後、十字軍をひきいていたシモン・ドゥ・モンフォールはこのカルカッソンヌを拠点に定め、ラングドック地方を荒らし回ることになります。
この彫刻はカルカッソンヌ城内の教会内にかざってあるレリーフです。
これは投石機ですね。石をセットしているのは女性です。
投石機から放たれた石がトゥールーズを包囲し攻城戦をしかけているシモン・ドゥ・モンフォールの脳天を直撃する様子を描いています。
戦争で夫を失った未亡人の石がトゥールーズを包囲し攻城戦をしかけているシモン・ドゥ・モンフォールを倒したという有名な故事に由来するレリーフです。
全体像です。
写真撮影は禁止なので、文章のみですが、その他の見どころとして、カタリ派への拷問内容を再現したミュージアムもあります。こちらはカタリ派への拷問だけではなく広くヨーロッパ全体を対象に中世を通じて行われた拷問を人形をつかって展示しています。なんていうか、悪趣味です。キャプションを読むと嫌悪を催します。それでも見ておくべき、だと思います。
シャトー・コンタルは中に入れます。その中からの教会です。
こちらの塔、日本的に言えば櫓は城内を向いています。領民に対する威嚇ということですね。この突き出した場所から石など投げたそうです。
とっても中世な感じがしますよね。
右側がシャトー・コンタル内の住居です。小さそうに見えますが中はかなり広大です。
カルカッソンヌのお城の位置がラングドック全体を見渡せる絶好の場所に位置しているのがわかるかと思います。
この城の入り口に突き出た半円形の橋頭堡をバルバカンといいます。
ここでもランチはカスレを食べます。ただの豆とソーセージの煮込みなのですが、旨い。そして、カルカッソンヌ以外ではほとんどたべられない名物といってもいいと思います。ただし、パリのスーパーで缶詰で売ってます。
夕方になるとどことなく不穏な寒々しさを感じさせられませんか?
夜は、UNESCO登録の周年イベント(黄色の塗料)のおかげでむしろ明るいイメージですね。
とまあ、カルカッソンヌは外観にこそその美の真髄があるというお話でした。