ノルマンディー旅行(バイユー、オマハビーチ、エトルタ、カマンベール)その3
バイユーを後に、もう、この時点で夕方ですので、本日の宿泊先、エトルタに向かいます。途中、ノルマンディー大橋をわたります。このノルマンディー大橋、高速道路のため、停車はできず、そのため、写真は車内助手席からとるしかないのですが、見てください!立派じゃありませんか?
オンフルールとル・アーブルの中間にあります。
この、なにもない、農道のようなところをVW(フォルクスワーゲン)のミニバスが走ります。対向車きたら結構、きついんじゃあないかな。そして、ナビではそろそろエトルタなのです。が…海なんかどこにも…
ドライバーさんはエトルタに来たことがあるから特に不安もないそうですが、これ、レンタカーで運転していたら、ちょっと不安になりますよね。道路の番号表示もないし、この先何キロでどこ、という標識もありませんので。
と、走行するうちにエトルタに着きました。美しいですよね。
10月上旬ですが、観光客はほとんどいません。この海岸に面して市街なのですが、ほとんどのお店がシャッターをおろしています。レストランから、ビストロまで、閑散としています。もちろん、やっているお店もあることはあります。ガイドさんによると夏はものすごい人だかりだそうです。ちょっと想像がつきません。
結局、滞在先のホテルがやっているレストランで食事にしました。ワインは、ノルマンディー産のワインなんてあるはずもなく、ロワールのサンセールなどがリストにありました。
オマハビーチとはちがった独特の美しさです。これには両親も喜んでくれました。
ちなみにエトルタは私も初めてきました。
モネがここからかきましたという案内板です。
こちらの岸壁の奥に、アルセーヌ・ルパンの奇巌城のモデルとなった岩があります。そして、アルセーヌ・ルパンの作者、モーリス・ルブランはエトルタの出身です。
日付が変わって翌日。オンフルール、ル・アーブル、カマンベール村、そしてパリへと帰ります。
朝はエトルタの近郊を散歩しました。
グーグルの画像検索でエトルタの風景のことは知っていました。そして車で来れないかなとおもっていたのですが、車は入れません。したがって、なんと、ホテルのある砂浜から歩くしか無かったのでした。
ただし、上りの勾配はそれほどきつくはありません。エトルタを満喫しようとおもったら夕方に来て、翌朝、2~3時間くらいとってもいいかもしれません。
中央の岩へと続く通路があります。
遊歩道です。たしかここに盗んだ財宝を隠したことになっているはずです。
もしかしたらここだったかな。
下をみると…怖いです。ここ、かなり強風です。
昨晩のホテルのあるあたりの浜辺です。
この後、ノルマンディー大橋を渡り、オンフルールへ向かいます。
繰り返しになりますが、今回はノルマンディー大橋の全体像を。
目指すはオンフルール。フランス語はHを発音しません。なので、HONFLUERとかいてオンフルールです。
オンフルールは 印象化の画家が題材としてたくさんの作品をのこしました。
上がスマホ(ブラックベリー)下がキャノンのデジイチでとりました。
上がキャノン、下がソニーのミラーレスです。
上がソニーのミラーレス、下がキャノンです。
オンフルールの上の3枚だったらキャノンがいいかなあって思いました。みなさんは行かかでしょう?(ま、結局はレンズですが)
水面がまるで鏡のように反射して絵になる風景となっています。
基本、オンフルールはここだけです。オンフルールは空襲をうけなかったので、古い町並みが結構残っています。
アレクサンドル・デュブールはオンフルール出身の画家で多分、印象派です。オンフルールを描いた作品を多数残しています。「小さな肉屋通り」だそうです。
下の木造の建物は監獄としてつかわれていたそうです。
フランスの古い建物、たまにみることがあります。それらの多くがつい最近までつかわれていたりとかで、素敵だと思います。が、結構、狭くて、小さいんですよね。
日本人の住宅のことをうさぎ小屋といったのはフランスの大統領だったとおもいますが、どうしてなかなかフランスだって一部のお金持ちと農村を除けば、相当にうさぎ小屋ですよね。
この教会は天井をみてもらうと、船の底を模した天井になっています。なぜ、左右両方あるかというと、もともとは片側分しかなかったのですが、人口が増えて、横に倍になるよう増築したそうです。パリとかボルドー、ブルゴーニュの教会とくらべると相当に地味です。
ここでお土産をかいました。帰国後、飲もうと、神田のいせ元さんにもっていったのですが…あれ、一緒にいったANAのCAの子に飲まずにあげちゃった。どんな味だったんだろう…冷やしてのめって言われたんだけど。のんでくれただろうか?
さて、オンフルールといえば、となりのハーフルールが砂で埋まって港としての機能が果たせなくなったので作られた港でもあります。いまもハーフルールはオンフルールのとなりに残っています。
で…言いたいのが、かっての港であったハーフルールこそはヘンリー5世がフランス上陸のため攻略しようとした港町でした。ハーフルールの守りは当初固く、攻城戦に手間取りました。
シェークスピアのヘンリー5世、あの有名な “Once more unto the breach, dear friends, once more; / Or close the wall up with our English dead.”(もう一度あの突破口へ突撃だ。諸君、もう一度!それがならずばイギリス兵の死体であの穴を塞いでしまえ)は、この攻城戦からうまれたのでした。シェークスピアはいいのですが、当時の情景を想像すると、「あんたが先にいけよ。」と言いたくなりますね。
ちょっと長くなりすぎちゃったので続きます。
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