フランス旅行記+フランスの不動産情報☆BYパリ大好きオヤジ

フランス旅行の備忘録+海外移住希望者向け(?)不動産情報のブログです。

パリを満喫

パリに来ました。

前回の続きです。シテ島内のホテルにチェックインしました。

もう何度も来ていますが、パリには他の国にはない独特の魅力があります。

凱旋門

絶対に、何がなんでも来てほしいのが凱旋門ルーブルやオルセーよりも間違いなく外さないと思います。美術品は好き嫌いありますし、並びます。エッフェル塔は常にテロのリスクがあります。

 

しかし凱旋門は…この眺め!しかも…中に入るとひたすら長い階段を登り続けます。火災になれば大変ですが、とにかく人が一箇所にあつまらないため、テロの効率が悪すぎます。建物の破壊すら用意ではありませんん。なので、個人的にテロのターゲットにはなりにくいと思っています。

f:id:TACOYAKI:20190105152619j:plain

f:id:TACOYAKI:20190105152712j:plain

f:id:TACOYAKI:20190105152749j:plain

 


f:id:TACOYAKI:20190105152839j:plain

 

f:id:TACOYAKI:20190105152901j:plain

この道、マルソー大通りをまっすぐ進むと

f:id:TACOYAKI:20190105152943j:plain

アルマ橋にでます。美しいですよね。エッフェル塔

ケ・ブランリー美術館

その後、向かうはエッフェル塔ではなくケ・ブランリー美術館。ここはお薦めです。なにしろ展示の方法が面白い。おもにフランスの海外植民地で収奪してきた民族文化のコレクションですが、なかなかイマジネーションを掻き立てられます。それからこのケ・ブランリー美術館の屋上のレストラン、実はまだいったことないのですが、いろいろなところで取り上げれています。

f:id:TACOYAKI:20190105160038j:plain

f:id:TACOYAKI:20190105160114j:plain

f:id:TACOYAKI:20190105160158j:plain

f:id:TACOYAKI:20190105160222j:plain

この後は…下水道博物館なのでした。

下水道博物館

f:id:TACOYAKI:20190105153645j:plain

SENS DE LA VISTEは「見学者はこちら」みたいな意味です。

f:id:TACOYAKI:20190105153929j:plain

昔はこの船で地下の下水を攫っていたそうです。想像しただけで気持ち悪いですね。

f:id:TACOYAKI:20190105154005j:plain

f:id:TACOYAKI:20190105154125j:plain

これはたしか、レ・ミゼラブルからの1シーンだったと思います。この数年後にミュージカルを映画にしたレ・ミゼラブル、ご覧になった方も多いと思います。最後の下水道での追跡劇、圧巻ですよね。マリウスとかコレットとかジャベールとか懐かしい。

f:id:TACOYAKI:20190105154253j:plain

これは現在だと思います。この球をころがして掃除しているわけですね。

f:id:TACOYAKI:20190105154513j:plain

アンバリッド

出口から、セーヌ河岸を歩くとアンバリッドにつきます。ここは廃兵院といいます。廃兵院、なんのことだかわかりますか?私は大学2年生の時、はじめてフランスにきたのですが、意味がわかりませんでした。地球の歩き方をみると「ルイ14世が傷病兵を収容するために建てた(以下略)」とあります。この説明でわかりますか?病院?って思いますよね。でもとてつもなく巨大な建物です。

 

実は、ここは戦争で傷害が残ってしまった人の残りの人生の面倒を見る場所なのです。日本には軍隊がないため、ちょっとイメージわかないですよね。(あってもこういう施設を準備するかどうかは疑問ですが。)現在はプロバンス外人部隊のそういう施設があります。そこではワインも作っています。

ちょっと脱線しましたが、礼拝堂(円屋根のドーム)にはナポレオンの棺が、建物部分は戦争にかんする資料(古代から近代まで、鎧や刀からマシンガンなどの兵器まで)とにかくとんでもない量の展示物です。

ということでお薦めです。

f:id:TACOYAKI:20190105155520j:plain

この街路灯邪魔です(涙)。

f:id:TACOYAKI:20190105160333j:plain

これがナポレオンの棺です。息子のローマ王も一緒に埋葬されています。

f:id:TACOYAKI:20190105160406j:plain

この辺りの鎧はおそらく、アルビジョワ十字軍の頃、全盛だっと思われます。その後の英仏100年戦争の前半あたりまでは。ちなみにフランス語もイタリア語も騎士のことは馬に乗る人、という意味なのですが、英語のナイトだけ意味が違います。Horsemenではないのです。なぜでしょう?当時、軍馬が少なく、馬で移動し、戦争は馬から降りて徒歩で戦ったからだという説があるそうです。

f:id:TACOYAKI:20190105160425j:plain

完成品だけではなく、つけてた人は即死だろう?と思わせるような破損した鎧も展示してあり、なかなかのリアリティを感じさせてくれます。
長くなりましたのでパート2に続きます。